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羽黒山(三神合祀殿)[蜂子神社御開扉] 参拝〜関連書籍
○先日、羽黒山(三神合祀殿)に参拝いたし、その事をツィッターにアップしたことをブログにまとめてみましたよ。併せて、出羽三山に関連した書籍をご紹介いたしますよ。
13:13
出羽三山歴史博物館では、羽黒山中興の祖・天宥別当の特別展を見学。常設展の仏像243体は廃仏毀釈で散逸したとされるもので、佐藤泰太良氏が私財を投じてそれらを収集し、子孫により神社に奉納された。 http://t.co/qAKa6d2lmc
11:34
羽黒山表参道石段沿いの、数多くの参拝者を見守ってきたであろう、湯殿山・月山・羽黒山の石碑。いつの時代につくられたものやら、苔に覆われ味わい深い雰囲気が醸し出されている。 http://t.co/1VMp2FgVf6
10:34
杉並木の中の国宝・羽黒山五重塔。京都の塔のようなきらびやかこそないが、自然の中に忽然と現れたような、たくましさ・純朴さを感じる〜東北っぽい…言ってる意味が今ひとつだが(^^;)  http://t.co/rNtJz7VzLl
10:00
今回の目的は、出羽三山開祖・蜂子皇子御尊像を一般に初公開の「羽黒山開山堂 蜂子神社御開扉」だよ。 ちなみに蜂子皇子の父は、あの崇峻天皇ですよ。http://t.co/D7jmybaJzQ http://t.co/Qt7OTdSFrD
09:44
やっぱ、迫力あったよ〜〜月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した大社殿。 http://t.co/Q2MjRcaBSC
09:25
観光客多しとはいえ、神気が漂う、羽黒山(三神合祀殿)境内。 http://t.co/KqrZ2dKjNo



一個人 11月号
特集記事:12年に1度の御縁年に大御利益を得る! 羽黒山・月山・湯殿山【修験道の聖地 出羽三山を巡る】


出羽三山信仰の圏構造:岩鼻 通明
出羽三山信仰を中心に、その圏構造を地理学的に把握し、霊山の山頂を中心とする聖域圏、霊山の山麓に展開する準聖域圏、そして平地の村落部へ向けて拡がる信仰圏からなる山岳信仰の空間構造を解説…


山岳修験への招待―霊山と修行体験 (新人物ブックス):宮家 準 (編集)
…日本の代表的な修験霊山を取り上げ、聖なるパワーの根源を歴史・行場とそこでの修行を解明、また実際にそこで真摯に修行した人の体験もまとめた…


神社に泊まる―日本全国癒しの宿坊ご案内:畑中 章宏
伊勢神宮、熊野本宮大社、出羽三山神社、戸隠神社、大山阿夫利神社、武蔵御嶽神社…あまり知られていない神社のご神域にある宿16か所を、全国から厳選して紹介…
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奈良期の関東からの移民の痕跡−御駒堂遺跡(宮城県栗原)
平成26年8月23日(土)に、御駒堂(おこまどう)遺跡の発掘調査現地説明会(担当:宮城県教育庁文化財保護課)があったので行ってみました。
今回は、一般国道4号線築館バイパス建設工事に伴う発掘調査です。

現地は太陽照りつける暑い中でしたが、120名以上の方々が訪れた様子です。



御駒堂遺跡は、縄文時代から江戸時代の集落跡。
古墳時代後期から平安時代初期の竪穴式住居跡50軒、平安時代の土器埋設遺構1基、古代の井戸跡1基のほか、江戸時代以降の掘立柱建物跡11棟などが、これまでの調査で発見されている。

奈良時代前半の律令国家の勢力は、太平洋側は大崎市域が北限で、栗原地方はそのラインの外側とされてきた。しかし今回の調査で、勢力圏外にも関東から大規模な移民が行われていたことが明らかとなり、当時の国家がどのように支配を拡大しようとしたのかを知る上で貴重な成果になったとの事。



竪穴式住居跡(奈良時代前半)
関東地方から、強制的に移動させられた移民が住んでいたと見られる住居。カマドや土器の特徴が関東地方のものと共通している。 黒く見えるのは家事で焼けたとみられる部材で、わざと火をかけて燃やした跡とのことで、その理由は不明。



東北地方のカマドは、長煙道というカマドが住居内部にあって、長い煙道が外に延びるタイプで、こちらの関東地方のカマドは短煙道という、壁を堀込み軒先に煙突が付くタイプ。



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古城巡礼−プチ岩出山散策紀(2014.5)−3
旧有備館の母屋・附属屋等は、解体工事・半解体工事完了後、平成25年(2013)10月より復旧(組立)工事に着手された。
続いて、附属屋の工事状況だ。
葦(よし)を利用し、かやぶき屋根をふき替える。


屋根裏の様子。


2種類の竹と葦で格子状に組んだ“小舞掻き”と呼ばれる骨組み。


小舞掻きは、米沢流とも言われる組み方で、伊達家が米沢から呼んだ左官によって組まれたのではと推測されている。


土壁(荒壁)塗りの作業中。


主屋と附属屋は、平成27年(2015)3月に工事の完了を目指す。



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